なぜ、行政マンである僕がブログで発信をすると決めたのか?

murata

行政をヨソモノとして見ていた、のちに入って感じる見られ方。

行政は平等。広く浅く的な温度差のない発信。市民・地域サービスとか。

見ていたり、関わる人のみつながって、何かしていて、まぁ知らなくても時は過ぎていく。

言い方は悪いがこれが僕が行政を”ヨソモノ”としての見え方だった。              (何も特定した話ではない。当然ながら行政の目に見えにくい仕事があるのは承知している。)

行政マンとして働く今、失礼だと承知しているけども、外から見ていると”中からはわかりえない、わかりにくい見え方”が間違いなくあることを現実に体感する。前職でもそうだったが地域や市民、お客さんの目は想像よりも鋭くて暖かくもあり厳しくもあるのだ。

中に入るとヨソモノだった自分も立ち位置が変われば職場でも私生活でも見られ方も大きく変わるんや、なんてわかっていても気づかされることが日常にはありふれることを1年間で痛感。

そして、行政職員の仕事は圧倒的な信頼感があるということ。だからこそ行政がしている仕事や地域活動の見られ方があるのであれば見せ方(仕事の姿勢)と伝え方を大切にしなくてはならないのではないのか?なんてことを勝手に抱く。

そこに絡むのが発信だ!とソワソワしだす。

ヨソモノが行政マンになった、なぜ?

転職して1年間によくわからないが聞かれすぎた「なぜ行政マンになった?」をここでサラっと。

僕はプロフィールにもあるように民間経験を経て考えもしていなかった行政の職に就いた。

断っておくが僕は前職が嫌だったわけではない。むしろ不向きな仕事に挑戦する覚悟で退職した。

転職のきっかけはヒトとの出会い、これに尽きる。僕の人生は大半がこれに尽きる。

妻と出会い西尾市を知り、前職で出入りしていた西尾市役所のとある方に出会ったことできっかけをいただいた。

もう少し掘り下げると自分が西尾市という知らない町に転居して妻と子供と住むことになった町の行政であったこともある。税金で給与をいただいて自分の暮らす町のために働けるのも悪くない。何か力になれるのか、なんて漠然とした考えしかなく働く姿を正直イメージはしにくかった。

幸いにして公務員試験合格という名誉な選択肢ができた、ということは一方で前職場の退職を意味するわけで、多くの方に猛反対(思い出したくない空気に包まれていた。笑)を受けながらも最終的には自分の人生でありやってみる・チャレンジするという思いを強くもって転職を決意した。    おかげで今でも応援していただいているため感謝ばかりだ。

というのが予想しなかった約1年半前の夏の出来事から起きた背景でして、ヨソモノとして外から見ていた僕であり町に暮らす僕は市役所というハコの中に入って働くことにした。

席に着いたら目の前にパソコン・書類・難しい書籍、そして1日中ハコの中で働く…7年間外で一生懸命フラフラとバンカーライフをしてきた体は1年経っても外の空気が恋しい、そんな僕はいつ慣れることやら。(これは不満ではなくただのボヤきである)

そんな僕の発信って、普通の行政マンとは違うことができるかな!?って思ったりしてザワザワ。

過ごしてきた1年間で感じた”行政の仕事のスタンス”と”馬力効きすぎたふるプロ研修で目覚める思い”

まず1つ目。

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行政の中に入ってわかることは本当に多い。働いてみてからの学びと気づき、人間関係、組織形態、法律、政治感、自分に不足している部分、そして何とも言えないグレーBOX?なんてことを感じた1年間。(西尾市役所バラのソファー席の眺め)

そんなことを考えながら僕であり他の職員さんは行政マンとしてどうしていけばいいのか?何ももって市民平等なのか?いい行政サービス、まちづくりって?他の行政との差別化って?働く職員って何を目指して、何を考えて、どんな地域にしたい?どんな働き方をしたい?どんなビジョンをもっているのか?最終的に行政とは?なんてことをザックリ思ってみたりした。

要はどんな目線と考え方で仕事や生活をしていって、どうなりたいのか

“How”の部分があまりわからなかったし感じられなくて、なのにPDCAなんて言葉があったり。

「1年目からわかったら苦労しねぇよ!ヘッ!」なんて言われたらそれまでですが。

全てに該当することは決してないけども、なんだか目線が下向いてたり、元気がなかったり、淡々としていたり。市役所で働くことはそんな感じで、市民とか地域と実は距離感が近くない?なんて見えちゃって。それってなんだか寂しいし結果誰のための行政の仕事なの?なんて思うこともあった。

行政の仕事は市民や地域に根付いた民の部分と協働していくべきではないのか。

全てを実現できないにしても1人1人の職員のスタンスが変化していけば少しずついいムーブメントが起きてのちにイノベーションとか地に足ついた政策が生まれるのかな、なんて思ったり。そうなれば人口減少問題や各地域の課題があったとしても移住であったり複数拠点で活動される人の流れが増えてそこから何か生まれる世の中になっていけば面白くなるはず?と思ったり。

というのがこの1年の間にかなり勝手に行政マンとして働くスタンスとして葛藤したことだった。

もう1つ。

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入庁してすぐに僕は経済産業省による”ふるさとプロデューサー育成支援事業“という研修プログラムの募集があったため勝手に応募した。結果、とんでもなく内容の濃いプログラムだったので運営側の本気度を感じられたわけだが。

新入職員の立場であり、配属された課の業務をはじめ行政マンとして覚えることばかりのはずが事業内容を見て面白そうだ・行ってみたい、なら行こう!なんて好奇心から先輩方に多大な迷惑を掛けることを承知で参加した。(書類も面接もありましたよ、それもものスゴくタイトな日程で。)

でも、この選択には僕の中では深い考えがあった。人生経験上キャリアを積めば良くも悪くも自分の居場所ができて良くも悪くも自由度がなくなるのを知っていたからこそこの年間40日近く要する研修には今後行けないと思った。そして1年目のタイミングで参加することが今後の僕の行政マンライフをよりよい時間を過ごすためのきっかけでありヒントになる。そう思わせてくれるだけの育成支援事業に出会うことができたからこそ行くことにしたのだ。(噂では変わり者・おでかけ好きだの言われていますが…)

おかげ様で一気に漠然と行政の仕事の見え方や考え方しかなかった自分にものすごく強烈なボディーブロー(課題とビジョン)をいただいた。そして新たな仲間とのつながりが一気に増した。この研修がなければ僕はただの少し民間経験を活かして役に立てるかな?程度の行政マンで終わっていたと思う。

またしても出会いのおかげで一気に行政マンとしてやってみたいことが見えてきた。少しずつ見えてきたことにより”自分ごと“におとしこめてきた、なんて感覚を覚える。

1年間を通した業務経験と研修からも見えてきたのが発信は超大切なんだ!           なんて思って、ついに…。

発信サイトを個人ではじめることに。走り出します!!!

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僕は恥ずかしながら30歳にもなってPCメールアドレスなし。Facebookやツイッターの類のSNSは嫌い。パソコン操作も素人同然でワードにエクセルも苦手。iPhoneの機能もきっとほんの一部しか扱えていないであろうという不器用でアナログな人間である。(よくわかんなけど得意そうとか言われるけど申し訳にことに全く期待はずれ)

そんな僕が一気に発信の世界に巻き込まれてしまった

研修受入先のきっかけではじめたSNS、ゆるやかにはじめることになった研修生ブログがなんとなくしっくりきて、のちにいきなりMacを購入し、連日へたくそなりの文章を綴ったSNSとブログを継続していたら、行政マンとして発信することの可能性や地域との関係性に深みと面白みを感じだしてきたので、この際個人のきちんとしたサイトをもってやってみよう!という結論に至りました。

そこで僕が頼りにしたのは東京都三鷹市を拠点に活躍されているお2人にお願いした。

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murabridgeサイト作成 OREGADGETさん(写真は本人サイトより)

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イラスト兼murabridgeコンセプト作成 小坂タイチさん(ふるプロ同期・同研修先 写真は本人サイトより)

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おかげ様様で行政マンブロガーとしてはじめたばかりですが、僕は勝手に1番イケてると自負しています!!!(負の遺産にならにように尽力します!)

とはいえ、行政内部の方からしたら「行政2年目で何を偉そうに」、「何も知らないくせに」、「どうせわかってないんだから」、「やっても無駄、いらないよ」、「やるなら担当にやらせておけばいい」、そんな声があっても良いと思う。

事実そうかもしれない。僕はまだ行政とか地域とかにしても知らなすぎる。発信にしたって行政のサイトをもつ運営先や民間に任せておけばいいなんて声も上がるかもしれない。やらなくても行政マンは生きられますから。

でも、僕は自分が見たり聞いたり成功したり失敗したりして感じた何かにこだわって、つっかかって、気になってもらって、生意気かもしれないが可能な限り自分がやりたいコトや地域に必要なコトを実現させていきたいと思っている。

そのためのコンテンツとしてブログを運営する=発信するために不足している自分へのインプットとアウトプットを身につけることで知ることができるなんて作戦と口述でフラフラできる、なんてね。(マジメにフラフラします)

それに、僕よりキャリアのある全国の自治体1,700市町村の行政マン(何人いるんだ?)がブログやFacebook、自身の好きなことでもいいので小さなアクションを起こしていって行政の仕事や地域の「いいね!」を発信していけばどれだけ世の中に広く太く熱く伝わっていくことか!

実現できたら何だか地域活性とかいいライバル感的な仲間意識が生まれてくる地方創生の流れに乗っかれたりと思う。

全国にいる行政マンと地域にいる人がつながってほしい!そんな思いをもっているしきっかけになりたい。

もちろん立場もあるため内容によってはリスクを背負うこともあるでしょう。だけども行政だからこそ地域や自分の仕事に真剣に向き合って考えた発信ならば誤った発信はないだろうし、そもそもやっていないことということは何にも伝わっていないという結論になる。そんな状況はもったいない。そうであれば行政マン個人としてよき発信のモデルケースを生み出していけばいいと思う。

行政の中でしか考えてなければ地域の真の声を感じられるわけはない。

そこで行政マンとしての僕と一個人のオレなんて意見がリンクしてくるとこのブログもうまくいく気がしてみたり。

世の中は大きいロッドも当然大事。でも基本はあしもとにある小さな集合体の方が多くて町を支えていると思う。そのスキマ的な資源に目を向けないと原石は輝かないしローカルは生まれない。僕は西尾市に限らず地域にあることを発信していくことが行政マンの役割だと真剣に思っている、言えば職員が広告であり地域に示す姿勢だったりするのではないのかと。

そして、転職して再度肌で感じたことは”行政こそ競争社会に身を置いている“という厳しい現実である。
だってそうでしょ?人口減少問題・ハコもの建設・公共交通機関・観光・自然・雇用・企業誘致・政策・あらゆるPR活動とどこを見渡しても地域と連携して他の地域と協働しながらも競争原理は生まれているわけです。
となれば、発信者が多くウマイ自治体って有利に働く気がしちゃいます。僕のブログは別として。
税で運営している体質に慣れてしまうと感覚がわかりにくいでしょうが外から見ると西尾市はじめ各地域の行政の見え方は民間と全く一緒ではないが同様である。そのためにいい意味でで危機感をもって仕事をすることも地域と関わる立場として大事だと思う。

僕は何もものすごい的が外れて逸脱したハプニングを起こしたいわけでもない。偉そうに言うが前職でも今の仕事でも同様で大前提にあるのは上司や後輩へのリスペクト。

だからこそわがままでなく自分にとって、職場や地域がブランディングされるべき意見は言うべきだと思う。これだけ勝手なことを言っている僕だって1人では何もできないんだから!

ほんの小さな一歩目が実現しただけで、まだ伝わりきっていない、だから動く。その繰り返しのスパイラルを楽しみたい。

それが僕がブログをはじめる理由である。

明日からが楽しみだ♪

末永く、ヨロシクドウゾ!

murata

ABOUTこの記事をかいた人

ムラタ ヒロアキ

ヒトとの出会いをきっかけに西尾市役所へ転職。ふるさとプロデューサー。
行政マンと個人の両目線をもってブログ「Murabridge」を運営。
日常に溢れる地域資源を発信し、自らが訴求したいことで何かとつながる(架け橋)を目指す。
そこから生まれる新たな世界と展開を求めて。