コミュニケーションは原始的である方が伝わりやすく感じやすい?地方の泥臭い行事が実は地域の大事なことを伝えて育てる発信源!

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都会では「そもそも”あざやく”って何?」って世界なのか?

この行事の風景を都会では日常的に見るのだろうか。

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このとてつもなく泥臭い風景と作業こそがわが町西尾市にある「あざやく」なんて行事。

「は?あざやく?」となるのを想定して調べて引用をしようと思ったら、ない!検索にヒットせず!
あざやくもアザヤクも、漢字で字役だと思って検索してもヒットでせず、チーン。笑

というわけで僕の経験上の話程度になってしまうが説明してみると、
昔から田んぼをやっている農家さん達が小さな川を利用していた際に泥や草でありゴミが小さな川に残ってしまうと流れなくなってしまうために行う清掃作業。現在は農家さんの減少もあり地域で自然を維持していこう!というニュアンスな感じではないかと。
僕も当然ながら現在のまちに来て知ったこと。昔から川で遊んだりし過ぎていたため汚れることには抵抗はないのですんなり「ふーん」とサクッと受け入れたわけですが。
まぁソコソコしんどいッス!
川から一生懸命すくい上げるものはとにかく”泥”で、ひたすら”泥”である。
撮りながら考えた名称は「泥コレクション」です。

自分でブログに載せようと撮ってたらその時点で笑えてきたわ!笑
みんな泥コレクションをすくい上げることに必死なわけです!

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たまにすっぽんとかどじょうとかもでますよ。

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とにかく、
小さな川が何か田んぼ仕事や災害等で不便にならないように年に2回か3回程度やってます。
この作業は本当に慣れでして、やればやるほど体の使い方や泥コレクションのすくい上げ方を覚えてくるので腰が痛くならなかったり、いい具合に近くのおじちゃんおばちゃんと話をして休んだり。(サボりではない)

そんなあざやく中にスマホで写真撮ったのは僕ははじめてでしょう。
なんかどうせならこれも”地域イベント”やん!なんて楽しくするために”全国でも初であろうあざやく中に自撮り“を記念撮影♪

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僕のはにかんだ複雑な顔は別として、みなさんが頑張ってる雰囲気が伝わればよしとしてください。

地方の方がネーミングは違えど共有して行われているんじゃないのかな?
そういう時は予定がない限り参加しましょう!

終わってみればこんなに泥と仲良くなります。

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そんな疲れを回復させるために田舎らしいこんなご褒美がついてきます♪

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約2時間程度、たまにはこんな朝があっていいもんです。
みなさんお疲れ様でした!!!

泥臭い現場にある会話とアナログ感が実は歴史や文化を何気なく継承している気がした!

作業しながらおじちゃんおばちゃんとお話はするんですけどね。
内容的には孫の話やらスーパーの◯◯が安いとか良いとか、どこどこが痛いや野菜がうまくできたとか生活感溢れる田舎感満載な会話が8割9割ですかね。
そんな会話に振り回されている段階ではまだ溶け込めきれていない感じがする僕がいたりして。

でも、そんな中で時折聞こえる会話が僕のアンテナにひっかかるんですね。
「ここで昔は◯◯してて、あの人がいなきゃわしゃもうアカンかったなぁ。」とか「わしが小さい頃はこんな小さな川でもきれいでよく釣りをしとったのになぁ。」とか諸々。
僕が思ったのはこの人たちが実はまちやこの風景を泥臭く育ててきたんや、みたいに勝手に感じてました。

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超自然な風景って何気なくアート感あったり。

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どこかの地域に限ってのことでもなく、なんだか最近は世の中全体にそんな思いがなくなってきている風潮にある気がしていた僕には何気に会話が心地よかった、反面ではハッ!と思わされたりした気分でした。
付け加えるならば、僕もまだまだ若僧だけど今まで生きてきた経験からすると対話なしではいられない環境にいた。
そんな環境のせいばかりではないけども、最近は世の中便利になった時代の流れや文化なのかスマホやSNSの普及からか若い世代は相対して話をしなくても過ごせる機会やシーンが急増。そのためか相対した時に相手と向き合って話をするということが減っている。そのせいか現場能力みたいなものが低下している気がする。
行政に置き換えればまだ機会はある方だと思うが地域の声がきちんと汲みとれているのか?”聞く力”や”目の前の人と向き合って話をする”という当たり前のことができているのだろうか。
人が人とまちや地域を育てるって捉え方をしている人は少ないかもしれないけども、僕は何気ない田舎の行事アザヤクからそんなことを思いました。

そして、この写真が撮れてめっちゃよかった!

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ただのおばちゃんの休憩と捉えるか、”まちで育ってまちを育てて守ってきたおばちゃん”と見るか。
そんな気づきになった個人的に超満足な1枚。
ぶっちゃけどうでもいい話が多いけど、僕は地域のおじちゃんとおばちゃんを大切にしたいなと思う。
僕はまだおじちゃんになるまで生きてもない。
今後起こりうる人口減少に多くの地域が直面したらアザヤクどうなるの?田んぼや畑を誰もできなくなったら今ある風景や風土、地域の文化とかってどうなっていくの?お金で解決することも手だけども、そこに至るまでを容易にしてしまうと何か大事な部分を失う様な気がしてしまうような気がするし、将来的な課題は出てくるでしょう。
定住者を増やすのか、移住者を増やすのか、行事等を行って人の流れを生むのか。そんなことを少しでも考えるとまちや地域、住む人や働く人の”考え方”と”捉え方”が変わるはず、そして”進め方”が徐々に変化していく気がします。
僕は行政マンとして発信したり行動することはやらないよりはいいけども、やはり効果とインパクト的には小さすぎる。きっと徐々に伝わっていくんだろうけどもおじちゃんおばちゃんになる前に気づいて継続できるスキームでありモデルは生み出したい。そうでなければ仮にうまくいったとしても一過性であると消耗戦になってしまう。やはり地域に見合った政策であり活動が身の丈にあって行われることが大事なんだと思う。

いつか、おじちゃんになれた時に同じように?どうでもいい会話が中心だとしても地域の語り部となって過ごせるような年を重ねるととともに少しでも地域を育てられる行政マンであり一個人でありたいと思う。

元気でやんちゃなおじちゃんになれますように!

こんなあざやくの見方と発信も悪くないでしょ?

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ABOUTこの記事をかいた人

ムラタ ヒロアキ

ヒトとの出会いをきっかけに西尾市役所へ転職。ふるさとプロデューサー。
行政マンと個人の両目線をもってブログ「Murabridge」を運営。
日常に溢れる地域資源を発信し、自らが訴求したいことで何かとつながる(架け橋)を目指す。
そこから生まれる新たな世界と展開を求めて。